距離を言い訳にして

 

時差って大きい。

生まれ育って家族や友人がいる場所と時差が8時間ある。

私が夕方5時に公園を呑気に散歩してるとそちらは真夜中になり大抵の人は寝静まり

私がそろそろ寝ようかなと思うとそちらは起き出して活動を始めるのだ。少し寂しい。

 

それでもこの世の中とても便利で国際電話なんか高い金額をかける必要もなく連絡をとれる。

時差が8時間あって飛行機だと12時間かかるとは思えないくらいに、まるで隣の県にいるかのように。

不思議な感覚でそちらと連絡がきたり、連絡をすることができる。

 

そんな生活に慣れてきた最近、カットの先生が亡くなった。

そのひともLondonに所縁があるひとで行くことを決めた時に報告しにいった先生だ。

「いいと思うよ」と押してくれたひとだ。

朝起きたら共通の知り合いからLINEで訃報が届いた。

あまりにも実感がわかないものだね。

日本に帰ったときに笑って報告しにいく予定だった。それができないのは実感がわかない。

私は彼のカットの技術の高さを理解したかった。それはもうできないらしい。

涙も実感もわかないのは全部距離と時差を言い訳にして

彼が愛し学んだ場所、Londonに潰されないように今日も気負わず私は生きるよ。